言葉

おばあちゃん

こんにちは。kokoです。

 

今日10月5日は、父方の祖母の誕生日です。

 

15年前に91歳で他界しました。

子どもにも、あまり話したことがない、

私の大好きなおばあちゃんの話を

書き留めておこうと思います。

 

口にはしないけれど、何度も思い出しています。

おばあちゃんの形見の品は、

ここ、韓国に持ってきてあって、

私が、心細い時やとっておきの時に、

出したりしています。

 

ここ最近では、インプラント手術前に

登場しています。

これがおばあちゃんが最後の頃、

入っていた施設で作った小皿です。

 

施設に入った頃なので、認知症も入り、

体も効かなくなってきている時の作品。

5枚あるのですが、割れてしまっては嫌だと

しまい込み・・・。

 

今はすっかり

15年の歳月を感じる色合いになっています。

 

これは、前掛け(エプロン)です。

 

おばあちゃんの着ていた着物や服の端切れを、

パッチワークして作ってあります。

おばあちゃんの娘さんにあたるおばさんが

作ってくてました。

その方も今は他界されています。

 

一緒に住んでいなかったおばあちゃんだけど、

本当に暖かい思い出を

たくさん残してくれました。

 

おばあちゃんのワカメと玉ねぎの味噌汁が

大好きでした。

シソの天ぷらも。

特別ではない日常料理で、

美味しい!!と感じさせるのは

料理上手の証だと思います。

 

私の小学生の頃おばあちゃんが

作ってくれた人形は、

長いこと私のお気に入りで、

いつも一緒に寝ていました。

葵って名前をつけて、

可愛がっていたこと思い出します。

 

おばあちゃんが作ってくれる

ペーパーフラワーに感化され、

小学生のひと時は、

ペーパーフラワー作りに燃えました。

 

おばあちゃんの優しい笑顔が大好きで、

孫の中でも

「おばあちゃん大好きっ子」筆頭は

私だったのでは?と自負しています。

 

小さい頃から、大人になっても、

大好きアピールばっし、ばし、でしたから。^^

私だけでなく、

どの孫もそう自負している

かもしれませんが・・・。^^;

 

誰からも愛される優しいおばあちゃんでした。

 

私が中学生、高校生、大学生と

年齢があがるにつれ、

あまり会う機会がなくなっていったけれど、

なくなって15年経った今でも、

おばあちゃんのことを思い出す時は、

暖かいものに包まれた気持ちになります。

 

おばあちゃんが、なくなって、

最後にお別れをした夜、

父はおばあちゃんを抱きしめたそうです。

それを聞いた時も、切なくて、

なんだか、わけもなく泣けました。

 

私も子供たちに抱きしめられたいです。

生きている時は、ちょっと無理そうなので、

死後で良いですよ。

(直接は言えないと思うので、この場を借りて

ここぞとばかりに書き記しておきます^^;;)

 

(話は脱線しますが、

韓国の方は、

親への愛情表現が上手だと思います。

いい大人の男性が、お母さんにハグ、

という光景を

韓国に来て私は何度も目撃しています。

羨望とともに。)

 

家族にもしない、私の心だけで完結していた

おばあちゃんのお話。

今日は、おばあちゃんのお誕生日なので、

書き記してみました。

 

おばあちゃん、ありがとう。

今も大好き♡

 

では、この辺で。

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ありがとうございました。