言葉

「一点」の大きさ

こんにちは。kokoです。

よく降る雨ですね。

反感反論をもった言葉ほど

後々長く覚えていたりすることが

あります。

 

中学3年生と時の恩師が

贈ってくれた言葉。

「社会の一点を照らせ」

 

まだ若かりし中3の頃は、

この言葉がとてもスケールの小さい言葉に

思えたんですね。

たった、社会の一点だけ?って。

 

少し大きくなってからは、

自分の専門性を生かした一点のことなのかな

と先生の言葉を思いかえしてみたり。

 

先生の言葉は、最澄の

「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」が

ベースにあったのかもしれません。

 

先生のくれた

「社会の一点を照らせ」

 

今の私は、先生が考えていた「一点」よりも

もっと「一点」を

小さく捉えているかもしれませんが

小さな「一点」に安らぎを覚えています。

 

自分の置かれている、

その社会の一点で、

ポジティブな思いで生きていれば

ほんの小さな明かりでも照らすことができると

思うんです。

 

大きくなくても、

あなたが、私が、そこにいるという

存在そのものが、

社会の一点を知らずに灯していて

生きる価値になっている。

 

「社会の一点を照らせ。」という

一点の小ささに、反感を抱いた言葉ですが、

今は、

一点の小ささに、安堵と安らぎを覚えています。

 

たとえ、明日死がきたとしても、

自分の置かれた一点で

生きたということは、

生きた意味のあることだと

思えるからです。

 

自分の人生を切り拓いていくのは

自分が今ある一瞬一瞬を

どう選択し向き合ってきたかにかかっています。

自分のいる場所で

どう過ごすか。

 

雨が降り続いているせいで

ちょっとしんみりモードになったかも。

 

では、この辺で。